Masukひとしきり荷物の整理を終えると、墓川が俺に問いかけてきた。
「黒い渦はどこにあるって?」 俺はいずみに視線を移す。彼女は頷くと一枚のルーズリーフを取り出し、「子供たちが描いてくれた地図だと駅ビルの屋上みたい」 そう答えた。「駅ビルの屋上? 駅ビル……」 シェルター方面か。なら途中までは子供たちは連れて行けるだろうか。 いや、さっきの天変地異で街がどうなったかわからないし、野犬の可能性を考えると危ない。連れて行くわけにはいかない。 それにシェルター『方面』とはいうが、シェルターはあくまで地下鉄の入口にある隠し通路に存在する。駅ビルはもっと先だ。「まだ残ってるんだね」 いずみの言葉に、今、あれ? と思った。「……俺、駅ビルなんかにいたっけ? 何かを眺めた記憶はないんだが……」 そう、俺はひたすら平坦な道を歩いてきた。ずっとずっと、ただ平坦な道を。瓦礫をかきわけながら。 駅ビルなんて、記憶にない。 困惑食後、俺たちは体力を損ねないために早々に寝ることにした。たき火の火がいつ消えるかはわからない。ここが公園跡地だったからかろうじて木があったのが幸いしたが、雪のせいで湿度を含んだ木は想像以上に燃えにくく、ぶすぶすと黒い煙を上げている。 と、雪が止み、空から雲が逃げていった。束の間の夜空。夜も十時を過ぎてようやく日が沈む。日本においてこんなに日が長いなんて本当にこの世界は異常である。 「子供たちを残してきたのは正解だったね」 と、俺の隣で寝袋にくるんでいたいずみが唐突に話しかけてきた。 「ああ、彼らを連れてはとてもじゃないけど進めない。危なすぎる。だから道を切り開きながら進んでいかないと」 「そうだね、子供たちでも通れるようにしてあげないとね」 一応通る際は道を残していった。天変地異でダメになる可能性は高かろうが、それでもやらなければならないことだ。 黒い渦を見つけたら一端戻り、シェルターから子供たち、いや、出来るなら大人たちも連れて行かねばならないからだ。 墓川と面木は残せないだろう。あと花香も。それはわかる。あいつらは先に俺の世界へ送ってやるつもりだ。 黒い渦。それだけが俺たちの希望だった。 それにしても、どうしていずみは子供たちをそこまで気にかけるのだろう。 訪ねたくなった。 「ところで、二つ聞いてもいいかな?」 「え? なに?」 「あの子たちと君は、何か関係があるの?」 この質問は、おそらくは初めて。 いずみは寝返りをうち、空を見上げながら答える。 「あー、実はね、あの子たち、孤児なの。上級国民の子供じゃないんだ。六人だけ」 「え」 「そして私も孤児なのね。あの子らは同じ養護施設の仲間たち。でね、ラストフィナーレが起こった時、私はクラスメイトの中にシェルターに入れる子がいたのを見つけて、後をつけて」 「な……」 今まで隠されていた衝撃の事実。 「そして、運命の日にこっそり、そして無理矢理六人ねじ込んだ。私は入れなかったけど、まあ、墓川の箱船があったからなんとかなった」 「…………」
それから俺たちは幾度かの休憩を適宜に挟み、旅を続けた。 温度計は持ち歩いていないからわからないが、急に気温が低下したようで、毛皮の帽子を被っていても頭がキーンとするほど寒い。脳がシャーベットになりそうだ。 鼻毛が凍る。マスクをして、その上にマフラーを巻いても寒くて寒くて仕方がない。もはや夏を思い出すことが出来ない。全身にカイロをつけ、唐辛子を塗りたくっても寒さを防げない。あまりにも馬鹿げた寒波が俺たちを襲った。 空はいつの間にか灰色の雲が覆い尽くし、雪が降り始める。 風がないことだけがせめてもの救いだった。 誰も、何も言わなかった。喋るとそれだけカロリーを消費するからだ。 先程の会話でいずみが言ったように、天変地異も定期的に発生するようになる。その度に大地はひび割れ、瓦礫は滑り落ち、いつもならスタスタと歩けるはずの大通りが、ひどく通りにくいものになる。 スパイクを履いていても足下が滑る。地震はひっきりなしに起こる。歩いても感じられるということは、震度は五くらいあるだろうか。 これでブリザードが吹き荒れたら最悪だ。急がないといけない。 でも焦るとそこに待っているのは死であり、ゆっくりと、慎重に、丁寧に、俺たちは瓦礫やクレバスをくぐりながら駅ビルへ向け、一歩一歩進んでいくのだった。 だがやがて体力の限界にさしかかる。腕時計を見ると夜の九時。空があまりにも白いからわからなかった。そんなに歩いていたのか。 場所は公園。といっても木々が生い茂り、散歩コースがあるような自然公園ではなく、滑り台やブランコがある、ごく普通の公園だ。 だがそれでも周囲には家々やビルがないため、瓦礫と言えるのは公衆トイレの残骸くらいのもの。俺たちはここでビバークをすることを決めた。 「ご飯、できた」 由那が火をくべ、テキパキと人数分の食事を振る舞う。大量の缶詰、カロリーメイト、スープ、チーズ、チョコレート、さらに白湯。水分は沢山取った方がいいとのこと。 「あ、ありがとう由那……手際いいね」 「慣れてる」 「そ、そう……」 何故慣れているのかはわからないが、あまり深く
「ためらいがあったな。僕としては、いや、我々としては死ぬのは嫌だ。どうしても死にたくない。そして僕には僕の考えがあった。文明を再興するという、ね。わかるか?」 「……何が言いたいんだ?」 「帰るなら今のうちだと言っているんだ。どうなんだ? 僕はもう皆からの信任がない以上、強制が出来ない。したって誰も付いてきてくれないからだ。だが、田下、君がやめようと一言言えばそれで終わるんだぞ? この意味わかるよな?」 「…………」 わかる。墓川の言わんとしていることはわかる。 だから、俺は言葉を選ぶ。選んで、選んで、選んで。 その間の沈黙がしかし、墓川の顔をどんどん渋くさせていく。 まずい、そう思った、瞬間。 「行こ」 由那が、救いの手を差し伸べてくれた。 「天藤……」 ぎろりと由那をねめつける墓川。 だが、味方になってくれたのは彼女だけではない。いずみもだ。 「墓川、あんたの気持ちもわかるよ。でもさ、もう箱船にはいられないの、最近の低下していく気候でもわかるっしょ? 天変地異もさ、ここ半年なかったじゃん。今日来たよね? 明日も来るかも知れない。いや、数時間後に来るかも。ラストフィナーレの時みたいにさ、ひっきりなしに来るかも知れない」 「……香坂」 そして二人のお陰で、俺もやっと言葉を組み立てることが出来た。 言葉という名の弾丸を、それを装填し、墓川に向けて発射する。 「墓川、俺の意見を言う。確かに百パーセントとは言わない」 「なんだと?」 「何故なら俺は見ていないからだ。黒い渦も、そして、ラストフィナーレも」 「貴様……」 「でも、墓川の言う文明の再興は無理だ。いずれ俺たちは死ぬ。それは九十パーセント以上だと思う。缶詰探したり、畑で野菜をちょっとだけ育てたくらいじゃ文明は作れない。いずれ缶詰は手に入らなくなるし缶詰にだって消費期限はある。数年後には缶詰も食えなくなる。獣がいないからタンパク質が取れない。この寒さじゃ稲は育たない。野菜だけじゃ人は生きていけない。それは仮に全球凍結がなくても起こりうる未来なんだ」 墓川の隠
ロープの最上段まで辿り着くと、皆が安堵の色を持って出迎えてくれていた。 嬉しい。素直にそう思う。 だが、その気の緩みは花香にもあったようで、はしごの上に戻った彼女はバランスを崩し、再び奈落へと―― 「くっ!」 「墓川!」 墓川が、咄嗟に花香の手首を取った。 「塔月。手を離すな。僕が引っ張る……」 「あ、た、助け……助けて……」 甘えている? 違う。これは悲鳴だ。花香時代ではあれほど平然としていた彼女でも、一度助かった安堵から再び奈落に墜ちるとなれば、その精神は穏やかではいられない。 人間は本質的に弱い生き物だから。 となれば黙って見ているわけにはいかない。俺は面木にはしごを持たせると、花香と墓川の元へ大急ぎで進んでいく。 怖いとか、また墜ちるのは嫌だとか言っている場合じゃない。 「わかってる! 待ってろ!」 そう叫ぶと、墓川は嬉しそうに笑った。一人では無理だということだろう。 「私も」「ん」 さらにいずみと由那もついてきて、四人で花香を何とか引き上げることに成功した。 「はぁ……はぁ……あ、あああ……」 助かった花香は泣きながら――失禁していた。 「漏らしたか……やむを得ない」 墓川はそう言い、改めて花香にクレバスを渡らすのだった。 ただクレバスを渡るだけで一時間以上かかった。 たった十メートル。ひとまたぎ、走れば一秒。 最初からこんな調子で果たして、目的地へとたどり着けるのだろうか。 どうしようもない不安が、鉛のようにのしかかるのだった。 そんな時だった。 「なあ、田下」 「な、なんだ墓川?」 墓川があまりにも暗い口調で訪ねてきたので、少しぎょっとしてしまう。 「今僕らは死の淵に立った。おそらくこれからも立つだろう。だからこ二つ聞きたい。一つ、黒い渦は本当にあるんだな?」 「ある。間違いない」 これは即答した。しかし墓川の猛攻は止まらない。 「もう一つ、世界は本当に終わるの
「あたしさあ、みんなとちょっと違うんだよね」 「というと?」 ただ、花香の話を聞いていると、ほんの少しだけ気が紛れる。それが嬉しくて、俺は素直に付き合うことにした。 「ラストフィナーレの時、あたしはシェルターにいなかった」 「え? それで、どうやって……」 「友達とダベってた。そしたら月が破壊されて、衝撃波で学校吹き飛んだ。だけど、あたしは数秒前にそれに気づいたから」 「…………」 「友達をクッションにして生き延びた」 「…………」 それは、花香のトラウマであり、罪だった。 心を押し潰さんばかりの罪悪感が、彼女の音吐にどうしようもないほど篭もっていて、俺は何も言えなかった。 花香は続ける。 「田下。あんたがさ、他の世界から来たってのは、実は理屈じゃなくて何となくわかるんだよ。理由は簡単。あんた、終末慣れしてないもん」 「終末、慣れ?」 地球酔いに続いて新しい言葉に、俺は困惑する。 しかし花香はなんてことのないように頷く。 「そ、終末慣れ。宮一の連中もさ、なんだかんだ生き残ってるから少し壊れてるっていうか、頭おかしいのね、みんな」 「…………」 「でも、あんたは普通なんだ。まともなんだ。でもそれはさ、この世界じゃおかしいんだ。ありえないんだよ」 「……なる、ほど、な」 確かに一理あった。 この世界は異常だ。狂っている。 だから、狂ってないと生きていけないのだ。 「あーあ、眠くなっちゃった」 「こ、ここで眠れるのかよ、お前は……」 でも、俺はどうやってもここまでは狂えない。 「田下はほんと普通だねえ」 あはは、と花香は楽しそうに笑った。 それはまるで、昔懐かしの旧友に出会ったかのようで、瞳の中にはいささかの曇りもなくて、こんな状況だというのに綺麗だと思ってしまうほどの透明度を誇っていた。 もっとも、クレバスの底で風船化した死体の山で命を繋ぎ止めているという状況でその顔をされると、たまらない恐怖を覚えるのだが。 ああ
………………。 …………。 ……。 ホワイトアウト。 「く……、う……こ、ここは……」 花香を助けようと手を伸ばし、そのままクレバスの底に墜ちた俺は、ゆっくりと意識を取り戻す。 不思議と、体は痛くなかった。どれくらいの高さかはわからないが、怪我をしていないというのはどうにも違和感がある。 何故だろうか、わからない。 ただ――臭い。 なんだ、この臭いは? ドブのような臭いがする。 今がラストフィナーレ後でなければ虫が湧きそうな悪臭だ。鼻が曲がりそうどころか砕けそう。吐き気がする。 俺は首を振りながらゆっくりと身を起こすと、花香は俺に気づいたようで、ふん、と鼻で笑いながら天を仰ぐ。彼女は体育座りをしていた。 「最悪。こんなところ、出られないじゃん」 「クレバスの底か……」 尻に伝わる感触が不思議なくらいグニャグニャしている。どうもなにかクッションがあったらしいが、それが何かはわからない。えらく柔らかく、しかし弾力があまりない。 ゴムボールやマットではないようだが、これはなんだろうか? 暗くてどうなっているのかわからないのが残念だ。 「…………」 と、花香がじっとこちらを見つめていることに気づいた。 何やら思案顔というか、暗くて判別は難しいが、考え込んでいるのは何となく伝わってくる。 けれどどうしてそんな顔になるのかは皆目見当もつかないので、 「ん? どうしたんだ?」 と素朴な疑問を口にした。 途端、花香が俺の胸元に飛び込んできたではないか。 「ありがとう田下くん! 田下くんのお陰で助かったよ! ほんとありがとね!」 「……なっ!」 あまりにも唐突な行為に、俺は開いた口が塞がらない。 こんな時に何故こんな態度をするのか。 いや、花香の異常性について、俺は出会った当初から感じ取ってはいた。時折片鱗も見せていた。 ただ、面木や墓川のような暴力性を伴わないからスルーしていただけだ。 彼女は、異常だ。